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子どもが読める大人の本 2005/08/30

長い夏休みもようやく終わり。下の子も小学校のプール検定を受かってくれて、ほっとしました。

この子の夏休みのおねだりは、ふたつでした。「一緒にプールに行って泳ぎを教えて欲しい」と「『星になった少年』に連れて行って欲しい」というもので、先週末の土日に、2つともすべりこみでクリアーしたところです。

夏休み読書で今年この子に買ってあげてよかったのは、さくらももこエッセイ集の数々。春頃から私の持っている酒井順子さんなど面白がるようになったので「こんなのもあるよ」とすすめたところ、かなりはまっています。TSUTAYAでたくさん手に入るので、便利。

親子で楽しめる本としてうちで人気が出たものは、このほかに『プチ哲学』があります。今は懐かしき団子三兄弟を描いた佐藤雅彦氏による感動的な哲学絵本。とっても可愛い。これは上の子と私と、偶然にふたりとも買ってしまった唯一の本でもあります。下の子は、この絵本を写すのが大好きです。

他に、星新一は、親子で読める本の定番なのかな。トットちゃんも忘れてはいけないし。本って子どもの本はおもしろいものが少ないので、大人の本だろうが何だろうが、誰が読んでも絶対おもしろい本を子どもに読ませるのがいいようです‥‥というか、親が面白い本を持っていれば、読む子は勝手に抜いて読みますな‥‥で、読まない子は読まないですな(子どもが3人いると、このように悟ってきます)。


うちに仏壇がない理由 2005/08/22

帰京する寸前、私は京都駅に近い和ロウソクのお店で和ロウソクを買いました。でも、欲しかったから買っただけで、うちにはお仏壇はないのです。私が育ったうちにも、父は長男でしたが仏壇はありませんでした。

ひとりで暮らしていた父方のおばあちゃんが95才で亡くなった時、持っていたお仏壇を父は引き取ったのです。でも、お線香のにおいが好きでなかったし、家が狭かったこともあって、母に「押入にでも入れておけ」と言ったのでした。

おばあちゃんの遺影も、壁に掛けたがりませんでした。「写真を見ていると、自分の中のその人の存在が写真になってしまう」と言うのです。いつも同じ顔をしている紙に過ぎない写真より自分の中の母親を大切にしたい、という父の気持ちはよくわかりました。

そんなわけで、私が二十歳のころ父が死んだときも、線香嫌いで「戒名など意味がない」と言っていた人にそういうこともできなくて、うちは、このときも仏壇を設けず、写真も飾りませんでした。

「蘭ちゃんち、不思議やなあ。お父さん死んだのに、どうして仏壇ないの」帰京する日、姑と京都駅のそばでお茶を飲んだとき、ふと、そんな話になりました。

そう言う風に理由を問われれば父の話をするしかないのですが、また改めて、父のあの言葉の意味を考えてみたい気がする、そんな旅の終わりでした。父は大正時代の美濃の大きな家で育った人なので、仏教の中で育ったに違いないのです。

でも、あれが、父の考えた、故人とのつきあい方だった。誰にも型にはめられない思い出だけを、ひとりそっと大切にすること。決して仏壇や戒名やその他の形式ではなかったのです。

帰った夜は、蝉が夜中まで鳴いていました。ああ、まだ夏なの?お盆は終わったのに?と思っていたら、次の夜、もう蝉は鳴かなかったのです。そして、小さな秋の虫の声が聞こえ、それが毎晩、クレッシェンドしていきます。


送り火 2005/08/16

京都では南禅寺、建仁寺などの禅寺を回り、町屋をレンタルし一泊。レンタル主は古いお米屋さんで、食事はつかないけれどお米と「美人ぬか」という洗顔用の米ぬかがつきます。キッチンに鍋釜はあり、錦小路などでお総菜を買い物して気ままに安く京都滞在をするにはいい感じです。

奈良では、何年か前から奈良公園一帯で「燈火会」というイベントをしていて、公園一帯が夕方からロウソクの灯った筒でいっぱいになるのですが、これに、東大寺の万燈供養会の日に行ってしまいました。

火灯し頃にはちょうど奈良の古い町並みが一番きれいに残っている「ならまち」にいて、とてもいい雰囲気。そこから猿沢の池で奈良の大文字焼き(京都と一日ずらして奈良でもするのです)を待って陣取る人たちの間を抜け、興福寺を経て東大寺を目指します。「燈火会」ボランティアの人たちがいっぱい出て、おびただしい数のロウソクを点火していました。

大仏殿にはちょうど大仏さまの顔が見える位置に窓があるのですが、この日とお正月だけはそれが開きます。遠くから真正面に、火の明かりの中で見る大仏の姿は、う、う、30分以上も並んで入ってすごく大変だったのですが、達成感がありました。イマジネーションを駆使して開眼の時の世紀のパーティーを想像したり、津島祐子さんの『ナラ・レポート』を思い出したり。

さらにその翌日には、REBORN宮下さんファミリーと五山送り火を見ました。もはや、お祭り野郎です。京都の北、とっても素敵なデザイン書の本屋さんが一件ぽつんとあかりをともしていた、静かな松ヶ崎の町。そこに浮かび上がった送り火の明るさ、松明の燃えるにおい、もうもうとあがる煙‥‥その場でしか味わえないものでした。

大文字焼きがなぜ大の字なのかはまだわからないのですが、インドの古い哲学には「大(マハット)」というものがあるようです。これは、五大要素である地、水、火、風、空が作る世界を超えた地点で現れるもので、その上にある光だけの世界の手前だそうです。人体でいうと、眉間のチャクラに当たるそうです。

本当の説はわかりませんが(もしかしたら、もう誰もわからないかも)、この考えでは、大の字は、あの世の人とこの世の人がつながるにはぴったりのポイントですね。