| プロフィール 河合 蘭 公式サイト |
| 時を視る | 2005/06/25 | |||
| 最近ドキドキして待っていたのは、なんと33年ぶりに参加する小学校の同窓会です。少なくとも大人になってから一度も会っていない人たちばかりだったので。「○○君や○○ちゃんも来るのよ」等といわれても、イメージとして飛び出してくるのは昭和40年代・のびた君にしずかちゃんファッションの可愛い子供たち。なので、会ってしまったら一体どんな感じなのか想像もつきませんでした。 地元・池尻大橋で下車。その前にヨーガ療法学会で取材していたので遅れていった私は、もう一同がそろっていて一斉に振り向いてくれたその顔、顔に、かなり感動しました。「時間」という目に見えないのものを、ありありと見たのでした。 人間にまろみ、深みをぐ〜んと増したのびたくんとしずかちゃんたち。特に男の子たちは小学校はまだまだ成長していない時期にあたるので、半分は誰かわからないくらいだし、とんでもない人間的成長を遂げられていたように感じました。 世のお母さまたち、小学校までは「何でうちの子はこんななんだろう」と思っていても、大丈夫でございます。子供なんてものは、思う道に進学し、仕事して、結婚して、親の手の届かないところで初めて人間になっていくのでありましょう。 担任の先生は、私の10倍くらい運動しているかというとびきり元気な毎日を過ごしていて、教わっていた当時と神秘的なほど変わらず。図書館にも頻繁に通い、私の書いたものを読んでいただいたこともあったそうで、うれしかったです。 |
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| 戦前に作られた粉ミルクの宣伝 | 2005/06/20 | |||
『愛育』という雑誌で歴史を調べようと愛育病院の図書館へ行きましたら、母乳もミルクのように時間決め授乳がよい、と戦前から提唱されていたことがわかりました。もちろん当時、日本人はみんな「泣いたら飲ませればいいのよ、そうすればおとなくしなるから」方式です。 しかし、医師の中には、「乳児が泣くのはいろいろな理由があるので、きちんと理由を調べなければならない」とか、中には「時間の秩序、意思抑制の躾を成し得らるる」と時間決めをすすめる方まであり、のべつまくなし授乳はやめよ、という流れが現れていたのです。 また「母乳が一番」としながら、不足の目安として体重測定を用いるようになっていくのもこの時代−1930年代の終わり。ここに、ある数値を満たさないと粉ミルク、という指導が始まったようです。 当時は重湯などを足して命を落とす赤ちゃんも多かったようなので、ここで目くじらを立てる気持ちはありません。でも、わからなかった、ということは本当に残念なことです。皮肉なことに、今は、母乳を出す最大のコツとして「泣くたびに飲ませる」が強調されているのですから。 1938年の号に森永ドライミルクの広告がありました。 「噴霧製造粉乳の最高峰 森永無糖ドライミルク 待ちかねるおいしいお乳 ドライミルクは大のなかよし 授乳は四時間ごとに消化よくビタミン豊かな森永ドライミルクをお与えください」 "待ちかねるおいしいお乳"をというところが、泣けます。 4時間もあけぱ、そりゃ待ちかねるわ。「待ちきれずワーワー泣きまくるのは、ミルクが美味しすぎるから」という筋書きは「???」です。でも案外、戦前の愛情濃い母親たちは、本当にこう思って(思おうとして)必死に自分を納得させたのかもしれません。 そして、権力をかさに昔ながらの育児を強要する姑たちと闘いながら、お医者様の言うとおりの新しい育児へと、歩き始めたのでしょう。 なかなか切ない名コピーであります。 |
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