| プロフィール 河合 蘭 公式サイト |
| 断食2日目 | 2005/03/15 | |||
| 断食は、先日からAll About「出産医療・産院選び」にインタビュー記事をアップした友永淳子先生(荻窪・友永ヨーガ学院)が年3回行っているコースに参加してやっています。 土曜日に説明会と個人面談があり、この日から普段の8割に減食。日曜日は6割減食で準備をしました。全部で30人くらいが今回のコースに参加し、毎日おこなわれる断食用のヨガにできるだけ通うことになっています。 1日目の月曜日は玄米がゆ一杯。2日目の今日は重湯一杯。他に口に出来るのはミネラル水と、番茶と、あとは「パイロゲン」というややフシギな健康飲料のみです。 「何で断食するの?」と何人かの人の聞かれましたが、一番大きい理由は「えっ!やってみた〜いっ」という欲望でした。欲を絶ってみたいという欲望です。こういう人は、欲がないのか、欲張りなのか?→後者、ですね。お産もそうですが、自分の身体が冒険するのはとても楽しいことではありませんか。 仕事も家事も普通にします。けっこういつも通りにできますし、ここがとても不思議なのですが、食欲にかられて苦しいという感覚がまったくないのです。家族のご飯も平気で作ります。 本当に、電源を切ったかのごとく、今の私は食欲という基本的欲望をパチッと絶ってしまっているのです。なぜそんなことができたのかは、わからないまま。 断食している人の世間を見るまなざしは独特なものです。どうしても、食べている人との間に隔たりができます。家族さえも、「もの喰う人々」となり、私と違う世界にいます。 見ていると、うちの家族はいろいろな食べ方をしています。 小さい下の子が、親の作ったごはんをうれしそうに食べているのを見るのは、ほほえましい。私の前でバームクーヘンを食べるとき、「失礼します」と言った夫と長女も、いいなあと思った。 しかし、おばあちゃんが、気の向くままにお総菜や甘味を買いちらし、長々と食べていたり、下手すると買ったたけで放置して古くしたりするのを見るのはつくづく情けない。 しかし、そんな光景も、断食中の頭にはいらだちは浮かばず、ただ、人にはこういう面があるなあ、それに征服されないように意識をしっかりもたないといけないんだなあ、と静かに思うわけです‥‥ああ、ほんとにお坊さんです。 友永ヨーガ学院 断食講座 http://www.tomonagayoga.org/fast.html |
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| 空手について本を読む | 2005/03/13 | |||
| 先日の取材帰り、大型書店で空手の本をあさりました。沖縄古伝空手心道流の宇城賢治さんという方が書かれた『武術空手への道』という本を買いました。その冒頭に、前回の日記の答え?と思う言葉がありました。 「武術の歴史をひもといた時、武術とは本来自分を護ることにあり、また敵を倒すことにありました。しかしそのような生か死かという場に臨み、またそのような場を何度もくぐり抜けることによって、武術のあるべき姿は必然的に「戦わずして勝つ」という方向へ導かれていったと言えます。そしてそこに「戦わずして勝つ」を裏付ける術技や心のあり方などの極意が生み出されていったと考えます」 こんな教えもあるそうです。 勝ちに三つの勝ちあり 打ち込んで勝つは、下の勝ちなり 勝って打ち込むは、中の勝ちなり 戦わずして勝つは、上の勝ちなり 宇城氏は、これは命をかけて武術をおこなっていた時代ならではの感覚だと書いています。本当にそうですね。そして、武道が命をかけることのないスポーツになったとき、この極限の技も、精神性も、共に失われたと批判しています。 スポーツでは必殺技を使って相手が亡くなると困るので技が衰え、そして命というものに対峙しなくなったところに精神性の衰えもあったということでしょう。これは、動物の命を取る猟師、漁師たちこそ、動物の魂を感じ、その重みを感じられる人であるのと同じだと思います。 ところで空手は、中国の少林寺拳法が元になり、琉球で確立したものです。琉球はハワイと同じように太平洋の軍事拠点であり、小国が生き残るため、600年前に武器を廃棄し、中立国となりました。 武器を失った琉球の人たちの、自分の身を守る手段として「空の手」で戦う術が編み出されたそうです。究極の護身でしょうか。 今日は空手サンデーの2回目でした。自分の中で少しだけ武道について理解でき、すっきりしたので、娘と元気に行く。 それからうさぎさんを爪切りに連れて行き‥‥ゆっくりお風呂に入りました。 実は、明日から私、断食するのです。 初めてです。このところ初めて続きなのですが、受験も終わり春が来るところで、私としては以前からねらっていたこと‥‥。 ヨーガの先生の指導で、1週間。ちょっと聖なる気分です。 |
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