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金子みすず展へ 2005/01/10

本当は年末に行くつもりだった金子みすず展へ、やっと行きました。この展覧会は銀座の松屋で開かれていますが、遺稿の3冊の手書きの詩集の現物が展示されています。1ページでいいから中が見たい、と思いましたが、中は、写真でしか見られません。そのかわり、たくさんの詩を、みすず直筆の字で読むことができます。

みすずは「まどみちおの憧れの詩人」といったら一番たくさんの人にわかるかもしれません。大正デモクラシーの時期に西条八十に認められて世に出ましたが、不幸な結婚をし、子供を前夫が引き取りに来る前日の夜、26歳で自らの命を絶ちました。

私にとって金子みすずは、はじめ、子供の感性を神秘的なほど持ち続けた人として惹かれましたが、しだいに、宮沢賢治のような、仏教の詩人だと思うようになっています。

みすずは、山口県の仙崎という、古くは捕鯨をしていた漁師町の岬にある商店街で、本や文房具を売る店の子として育ちました。今回の展覧会では、その商店街の古い絵地図が展示されていて、これは、みすずが生きていた世界をまことに彷彿とさせてくれました。詩に出てくる場所が、絵地図の上でわかるのです。

たとえば「うちのだりあが咲いた日に、酒屋のクロが死にました。」で始まる「犬」という詩があるのですが、酒屋さんはおとなりだったようです。

私は前からみすずと仏教の関係が知りたかったのですが、それも、その絵地図にありました。商店街のはずれは、大きなお寺でした。その西円寺という名のお寺は、安永の昔(18世紀)、「小児念仏会(しょうにねんぶつえ)」という日曜学校を世界に先駆けて始めたところだそうです。みすずが小さいころも、この日曜学校は盛んにおこなわれていたそうです。漁師町ではもともと、殺生への意識が鋭敏で、仏教信仰が盛んだったそうです。

みすずは故郷の影響を非常に強く受け、故郷を描いたといってもいいくらいの詩人です。そこに海があったこともとても大きいのはもちろんですが、形骸化していない生きたお寺がひとつあったことが、みすずの世界を切り結んだようにも思います。

仙崎へ行ってみたいです。海への道を歩いて、今も立っているという、この榎の木が見たいです。

「このみち」(金子みすず)

このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池のかえろよ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、
このみちを行こうよ。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。


太子堂の家にさようならを言う 2005/01/08

今日は特別な日でした。

それは、生まれ育って25歳まで住んでいた世田谷・太子堂の公団住宅から、一面の雪景色を見渡しているという早朝の夢から始まりました。私が育ったこのアパートは、大きな空と、池尻から三軒茶屋までの景色が一望できる丘の上に建っていたのです。ものすごくいいお天気でまぶしい日差しに真っ白な雪が輝いて、それを、19歳の娘が見て「きれーい!」と大喜びしていました。

ところが、その窓の端を見ると、ふと、はしごがかかっているのに気がついたのです。そして、工事の作業をする人の足が降りてきました。

そうだ、もうすぐこのアパートは取り壊されるんだ、と気がついたところで夢から覚めました。そのことは秋頃に聞いていたのです。

目が覚めると、壊されてしまう建物がかわいそうで、今頃、こんな冷たい夜更けにどんなに寂しい思いをして壊されるのを待っているかと思うと、涙があとからあとからあふれました。

生家の取り壊しとは、人にとってどんな意味を持っているのでしょうか。ともかく私は、取り壊しが間近に迫っているに違いないと考え、建物に呼ばれたんだ、と思いました。

それで今日は、夫と母と下の子をつれて、生まれた家にお別れのあいさつをしに行きました。

行くと、真っ青な空をバックに、居住者全員が立ち退いて空っぽになっていたアパートが、まだ建っていてくれました。全部で10棟ある団地なのですが、どこもシーンと静まりかえり、アバートに隣接してそびえていた国立小児病院(壊される前は国立成育医療センターの分院になっていました)まで広大な敷地が更地になっていました。それで空はひときわ大きく、見事に真っ青でした。

住んでいたアパートは団地の中でも特に小さい6戸しかない建物で丘のてっぺんにあり、2階が私のうちでした。私が「これで見納め」と思って別れた引っ越しの時と何も変わらない鉄のドア。触れて「さようなら」を言おうとしても、「ありがとう」の言葉しか心には出てきません。

小さい日に私たち家族を雨風から守ってくれ、やがて私がひとりになり、そこに夫が来て、最初の子どもを抱く日まで‥‥成長のすべてを見ていてくれたことに対する感謝です。そして、今日、私を呼んでくれたことに対する感謝。

生まれ育った町で子どもを育てたい、と思いながら、私は結局遠くへ引っ越してしまいました。

それにはいろいろな理由があって納得しているのだけれど、あなたの家はどこですか、と聞かれたとき、人は誰でも小さいときを過ごした家を「世界でただひとつの家」として思い浮かべるのではないでしょうか。


ケータイ親子 2005/01/07

学校の新学期も近づいてきました。制服修理の件で聞きたいことができ、遊びに行っている当人(16歳・少年)のケータイにかけると、「うるさいなあ」というニュアンスの切り方をされる。んー、これは許せん!

すぐに携帯メールを入れました。「今の切り方にはムカついた。親しき仲にも礼儀あり、という言葉を知っていますか。人が自分のために時間を割いてくれたときは、ありがとうと言いなさい」

帰ってきた息子はすぐに私の仕事部屋に来て、「おかあさん、ごめんなさい。そんなに怒らないで」と言ってくれました。

今年やってみようと思っているのは、上の大きい子どもたちと「です、ます」調でたくさん話すこと。密着子育ても面白かったけど、「子別れ」も面白そうだ。

成長した子が親に無礼なことをするのは、親に甘えているからなのです。いつまでも甘えさせてしまう親では、子どもがかわいそうです。