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インタビュー集

シーラ・キッツィンガー

 出産準備教育の世界的権威であり、社会人類学者でもある彼女は、妊娠・出産・育児に関する数多くの著書を持ち、その本は世界30数ケ国に翻訳され親しまれています。キッツィンガー女史をイギリスはオックスフォードの彼女の自宅に訪ね、インタビューを行いました。




インタビュー・文/きくちさかえ
Interview Date:1994 summer

●産む性としての女性を否定していた60年代のフェミニズム
きくち: シーラさんはこれまで20冊以上の本を書かれてきましたが、その代表作ともいえる"Pregnancy and Childbirth"が近日日本でも出版される予定です。(*現在はすでに発刊・邦題『シーラおばさんの妊娠と出産の本』)シーラさんの本は、欧米では自然出産を望む女性たちや助産婦たちにバイブルのように読まれています。
その女性たちの気持ちを率直に語る語り口に、世界中の女性たちが共感し支えられてきたと思うのですが、社会人類学者であるシーラさんがそもそも出産に興味を持たれたのはどのようなきっかけだたのでしょうか。


キッツィンガー: 私が社会人類学者として出産に関する研究を始めたのは1960年代のことです。
その当時は、出産と女性の一生についての社会人類学的な文献というのはほとんどありませんでした。まず、研究されていないということが、私が興味を持ったきっかけと言ってもいいでしょう。
その頃、マーガレット・ミードがオックスフォード大学でセミナーをやりまして、彼女とじっくり話しているうちに「出産に関しての研究をしたい、これだ!と思ったのです」私自身は、双子を含む5人の娘を自宅で出産しました。自分自身の体験を通して、出産が女性の一生にどのような影響を及ぼすのか、いったい何が起こっているのか、とても興味がありました。

きくち: その頃は女性運動が活発な時代だったと思うのですが、当時の女性運動は女性が男性と同じようになることを目的とし、産む性そのものを否定していたのでは?


キッツィンガー: 当時の女性運動のフェミニストたちは、出産にはまるで興味を示しませんでした。出産は女性運動とはまったく別のものとされていたのです。しかし、出産は女性の人生にとってとても重要な問題です。私自身がフェミニストたちに、出産が女性運動の中でも語られるべきものであることを気づかせる働きをしたと思います。

きくち: 私は自分の経験だけでなく、様々な女性たちから出産の話しを聞き、研究を続けました。女性たちと話をする中で、彼女たちがいっしょうけんめい言葉を選んで自分の体験や、その時の気持ちについて語ろうとすることにとても興味を持ちました。やはり、ひとりひとりにとって出産はとても大きな出来事であることがわかります。それが私をここまで出産に没頭させてきたのでしょう。出産がとてもいい体験だったという人もいますが、残念なことにひどい経験になってしまったと言う人もいます。そうした話を聞くたびに、どうしてそうなってまったのか、自分は何かできないかと考えてきました。

●出産はひとひとりの経験がとても重要
きくち: そうしたことから、バース・エデュケーターとしてクラスを持ったり、ナショナル・トラスト(英国出産教育財団)の設立にかかわったりしてこられたわけですね。最近では、病院の分娩室にプールを設置するための資金を寄付なさったとも聞いています。そうしたシーラさんの活動や、産む側の女性たちの活動がイギリスの出産を変えてきた原動力になってきたと思うのですが、日本では残念ながらまだ、社会が出産に対して関心を寄せるまでには至っていない現状です。


キッツィンガー: 出産が女性の一瞬の出来事と捕えられているからではないでしょうか。しかし、女性はたとえ70才や80才になっても、自分の出産のときのことを鮮明に覚えています。その人たちは今まで、自分の出産について語る機会を与えられていなかっただけで、もし機会を与えられたなら、出産のときどんなふうに自分が扱われてきたか、その苦しみや屈辱について詳細に語ることができるでしょう。それだけ、ずっと記憶に残っていることなのです。

きくち: しかし、当事者の女性たちが、一生に1回か2回のことだから、我慢すればいいことだと思っている人が多いように思います。


キッツィンガー: たしかに女性たちも、たった24時間くらいのことだから、誰もが経験し、通り過ぎていくことだから、しかたのないこと思っている人が多いのは事実です。しかし、女性の一生の中で出産はとても大きな出来事ですし、人生の危機となることもあります。にもかかわらず、女性たちが声を上げてこなかったのは、ひとつにはそれが性的でプライベートなものであるということでしょう。たとえば、性的虐待についても同じようなことが言えると思います。性的なことは、それが虐待のような不幸な経験であればあるほど表面には現われてこないものなのです。しかし、出産はひとりひとりの経験がとても貴重だということを忘れてはなりません。自分の経験について考えることによって、自分自身をさらに深く知ることができます。出産はただの医療的出来事でもなければ、道路で事故に合うといったたぐいのものではないのです。その人の人生の中の、大切なイベントだということです。

小さなグループから社会へ輪を広げよう
きくち: そうしたことを、多くの人に伝えるために私たちに何ができるでしょうか。


キッツィンガー: 今の社会の中で、出産がどのような現状にあるのかを、知らせていくことが必要でしょう。そして、女性のグループ同士が支え合うことです。それは出産に関するグループだけでなくてもいいわけです。まず、理解してくれる人に伝え、互いに支え合っていけば、共に変わっていくことができるでしょう。出産を変えていこうとするムーブメントは、世界中どこでも、とても小さなグループからスタートしています。まるで細胞のような小さな動きが、ひとつひとつ集まってできていくのです。
 ひとつ提案できるのは、誰でもが行ける、みんなが集まれる場所があるといいですね。そこには、出産や母乳の相談ができる助産婦などがいる。言いたいことを言えて、自分がその中の一員であると感じられるような場です。そのような場を作ることが難しければ、移動相談室のようなバスをしたててはどうでしょう。そこに相談員や社会に向けて出産をアピールする人たちが乗り込み、各地を回る。そして、多くの人と意見を交換するのです。私はこの意見を、ある時、英国産婦人科医協会の会長に話したことがあります。私は彼に「バスの運転手になってみてはどうですか?」と言ったのですが、彼は「私になれ!と言っているのですか?」と冗談で答えていました。(笑)

●産む人が選べるお産を!
きくち: 産む人たちや助産婦は今後、どのようなことを目標に運動を展開させてゆけばよいのでしょう?


キッツィンガー: そうしたことは、人から与えられるものではなく、あくまで自分たちが必要としていると思うことを追及していくしかないと思います。
ただ、ひとつの例として、アメリカのICEAアメリカのICEA (Intenational Childbith Education Associatoin)は「他のいろいろなチョイスを知った上での選択の自由」という目標を掲げています。インフォームド・コンセントで言われている「説明と同意」だけでは不十分だという認識がポイントです。インフォームド・チョイスです。
医療者はいくつかチョイスする道を与えればいいと思っていますが、実際はそれぞれのチョイスに長所や短所の十分な説明がなければ意味がありません。
スーパーに行っても、棚にある物を眺めているだけでは中味はわかりませんね。内容表を読まなければわからないのです。お産も同じです。出産のとき、ペチジンという薬で痛みを取ることもできます、硬膜外麻酔もあります、自然出産もできますというだけでなく、それぞれの内容について説明してもらう必要があるということです。

きくち: しかし、日本ではまだまだ、医師の言うことにお任せという人が多いのですが。


キッツィンガー: それは専門職に対する過大な期待や、崇拝する気持ちがそうさせるのでしょう。たしかに、医師は長い期間かけて学び、研究を重ねてきたと主張します。女性のからだのことは女性以上に知っているという人さえいます。しかし、産科学は女性を自分たちの都合のいいように解釈してきました。産科医はお産のプロセスを研究する上で、女性をバラバラにして考えてきたのです。たとえば、可動する骨盤、収縮する子宮、開大する頭部というように。女性そのもの、全体を見てはこなかったのです。
 これまでの産科学は男性論理の上に成り立ってきました。それは、お産だけでなく、社会構造全般に渡って言えることです。しかし私たちは、そうした物の考え方から成長して卒業する時期にきていると思います。WHOやユニセフでさえ、赤ちゃんにとっての優しい環境を提案していますが、それもある意味で男性的発想です。赤ちゃんももちろんですが、女性にとって適した環境についてもっと論じられていいと私は思います。


きくち: 最後に助産婦にメッセージはありませんか?
キッツィンガー: 助産婦と女性たちが手を取り合って、社会に働きかけていくことが大切でしょう。そうすることによって、運動をより強固にすることができます。助産婦が医師の立場に立ってしまったら、女性中心にお産を考えることがなくなってしまったら、助産婦としての本来の意味が失われてしまいます。日本には開業助産婦の伝統があります。そうした伝統を再発見し、自分たちの職能を生かしていって欲しいと思います。

このインタビューはREBORN5号(1994年10月発行)に掲載されたものです。