開業助産婦日記

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 今日的育児相談

三宅はつえ


 隣町のスーパーで育児相談員を担当して3年になる。茶髪やルーズソックスのおかあちゃんたちもいて、最先端の育児事情をかいま見られるのだ。常連さんもけっこういて、お友達お誘い合わせの上ご来店されると、なんだかクラス会の雰囲気だ。
時々「あ〜、今日的だな〜」と思うような相談事がある。赤ちゃんがミルクを嫌がってアルカリイオン飲料しか飲まないというのだ。1日に1リットル近く飲ませているという。
「あの〜、赤ちゃんが○○○(アルカリイオン飲料名)しか飲まなくって〜、このままだと糖尿病とかなっちゃうかな〜と思って相談にきました〜」
夫婦で旅行に行くため実母に預けたところ、ミルクを飲まなくなったというのだ。アルカリイオン飲料を飲ませたのは、おばあちゃんである。ママは二十歳そこそこだから、おばあちゃんといっても、まだ40代だ。
 最近のおばあちゃんはちっとも当てにならない人が多い。(私はそんなことなはい!という方にはゴメンなさい)これはひとえに経験不足によるものだ。
 昭和22年頃の合計特殊出生率は4を越えていた。合計特殊出生率というのは、15歳から49歳までの妊娠可能は女の人が、その年の出生率から考えると何人くらい子供を産むかというものだから、これが4を越えるってことは、産まない人の分を考えると、産んでる人は当然7人とか8人とか産んでることになる。今の60代以上の人の兄弟の数を考えると、良くわかるだろう。こんな感じでボロボロ子供を産み続けると、一番下の子を産んだときには、長男の嫁さんや長女が妊娠中!なんて感じで、年下の叔父さん叔母さんもめずらしくはなかった。女の人は育児がとぎれることなく年老いていった時代だったのだ。
 そして今日、おばあちゃんになる人の世代の子供の数はせいぜい2人か3人。それも25年から30年前の育児法だ。なおかつ、当時はミルク全盛期。「ミルクを飲ませて頭のいい子に育てよう」のキャッチフレーズのもと、みんながミルクに群がった。ミルクやほ乳瓶は、おっぱいなんかよりブンカテキだったのだ。今のママが「おっぱいでそだてたい」といっても「そんなに泣かせてかわいそうだからミルクをあげなさい」というのは、だいたいおばあちゃん。だって、赤ん坊の泣き声に免疫がないのだから、仕方がない。あっちでも、こっちでも赤ん坊が泣いていれば、少しは耳が慣れるのにね。
 子供の数が少ないというのは、なんと不幸なことだろう。(な〜んて、私も一人しか産んでいないから、エラそうなことは言えないが)隣近所にサンプルが少ないから、お母さんたちは子供や育児法に『標準仕様』を見つけるのがたいへん。あんな子もいて、こんな子もいて、それでもOK!というのが見えない。
 先日も肩に力の入っていそうなママがやってきた。「離乳食をどのくらいの量あげていいかわからないんです」ニコリともせず真剣な表情。自分では一生懸命やってみても「それって、多くな〜い」という友人の一言でグラグラゆれちゃう母心。大きさも、月齢も違う隣の子は、何の参考にもならないのにね。離乳食のお粥が「茶碗に半分」か「茶碗に2/3」か、そんなことで不安になる。「けっこう食べちゃうから心配で」と続く。うんちやゴキゲンを聞いてみると問題はなさそう。「量はね、うんちとかゴキゲンとか見ながら適当でいいんじゃない?」というと目がまんまろに…。「だって子供は機械じゃないんだから、その日の気分ってこともあるでしょ。大人だってそうでしょ?」という私の言葉に、はじめてこぼれた笑顔で「そうか〜、もう少しおおらかに考えてもいいんですね」そこで、肩の力がホッと抜けましたとさ。
 かくして三宅の育児相談は「近郷近在で一番アバウトな育児相談」で有名。ご指名してくれるおなじみさんも多いのであった。

REBORN第25号1999年10月号に掲載したものです。

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