お産・医療・ごはん


私の初めてのお産
河合 蘭



  もう15年前になる私の初めての出産は、絵に描いたような普通のお産でした。産院の選び方は「近所の口コミ」。独身時代からよく行っていた定食屋さんのおばちゃまが「うちの娘が産んだところ、親切だったってヨ」と言うので「そうかあ」と重大情報を入手した気分で病院を決めました。

待ち時間は長くて医師はあまりこちらを向いてくれなかったけれど、大きな病院ですから、「まあ、こんなもんだろう」と思っていました。助産婦さんはとても優しくて明るい方が多かったので、それでもう満足でした。お産のやり方など、何の興味もありませんでした(ホントです)。

 ただ一度、母が、私を育てたときの育児日記を送ってくれたとき、私はある一行に愕然としたのです。それはトップページに書かれていた私の出生の描写でしたが「いきみと共に側切開」と書かれていたのです。「えっ...こんなこと、誰も教えてくれなかったじゃない。この楽しいマタニティ・ライフのフィナーレにはそんな処置が待っているのか」それは私にとって、まさに妊娠・出産のダーク・サイドでした。しかし、当時の私は結局この思いを飲みこんでしまいました。どの本を見ても、会陰切開は初産ならば必要なのだと書いてあったからです。

 予定日が過ぎ、ある朝、破水。待ちに待ったお産の開始です。わくわくしながら入院すると、夫とは、いつのまにか会うことも許可されない状態になりましたが「あれえ?」と思う余裕もなく、人口的な陣痛が切れ目なく押し寄せて来る中、お産になりました。

 しかし我が子は、非常に美しかったです。病院の管理分娩に感動がないというようなことはないのです。一瞬抱かせてもらっただけで連れて行かれ、夫と赤ちゃんに見惚れたりする場面はありませんでしたが、私はひとりですごく興奮していました。部屋に帰ってもまったく寝つけず、夜の11時頃のお産でしたが、夜明けまで大きな窓から空をながめて起きていました。たった今体験したすごいことの余韻にドキドキしていました。

 初回授乳は確か24時間後くらい。時間決めの集団授乳、デジタル体重計による哺乳量の計測、後絞りもミルクの補充もチャカチャカとやったものです。私の母乳の量は、このような効率の悪いやり方では、残念ながら母乳だけで十分行けるレベルには達しませんでした。しかしその残念な気持は、回りを見るとみんなが粉ミルクを持ち歩いていることで癒されていきました。

 こうしたことに疑問を持つようになったのは、ずっとあとのこと、これから1年も経ってお産の取材をするようになってからです。


 今も第一子のアルバムのはじめの方には、デジタル体重計で哺乳量を量ったときに書きつけたメモが貼られています。その紙片は、若かった自分が初めて子どもを持ったときのうれしさを思い出させてくれる大切なメモリーです――私の今の仕事は、そうしたやり方を変えようとするものですが、母親としての私は、やはりあの時からずっとつながっている同じ母親なのでしょう。


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