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REBORNの歩みを振り返る
産む人と医療者をつないだ20年間

コラム REBORNと私の20年間

 

中根直子さん
日本赤十字社医療センター分娩室看護師長

私は卒後5年目に病院勤務を一時中断してファン助産院に3年間勤務したのですが,そこでは,まもなくREBORN をつくることになるきくちさんがヨガを教えていて, 河合さんも,そこで産んだ母親のひとりでした。助産院の妊婦さんたちはとても積極的で「自分の身体のことですから医療におまかせはできませんよね」というので,そのたびに「そのとおり! 」と心のなかで手を打っていました。
そのあと「JIMON 」という助産師ネットワークの一員として「いいお産の日」や「フリースタイル出産ワークショップ」などのイベントを一緒につくり上げていくことになりましたが,楽しくて仕方がなかったですね。今,思うと私の1990年代は産む人だちと一緒になって走り抜けた時間でした。私は助産師数が戦後最低になった時代に助産師になった世代。卒業当初は「助産師はこれからどうなっていくのだろう」と未来に不安を覚えていたのですが,病院の外に世界を広げることで助産師としての楽しさや自信がどんどん大きくなっていくのを感じました。

 

公益財団法人日本ダウン症協会理事
元いいお産の日事務局
水戸川真由美さん

REBORN との出逢いは1995年,第2回「いいお産の日」の開催準備の時です。その
頃私は2児の母でした。第3子の出産を導いた大きな出逢いであったと思います。大葉ナナコ氏(公益社団法人誕生学協会代表理事)と仕事を通じて知り合い,「お産のイベントがある」と聞いた時は,度肝を抜かれました。「お産」を語るのは,なんとなくタブーとされていた当時,その雰囲気のなかにいた自分にはビックリで,ましてイベントを開催しようとする人たちがいる? そして情報紙がある! どんな人たちが? どんなことをするの?とクエスチョンマークだらけでした。
はじめて訪れた荻窪のきくちさんのお宅で会議が開催され,目をクリクリさせて,参加をしていた私でした。意見が飛び交い「お産」について真剣に語り合う人たちの熱さに惹かれるまま,イベントの実行委員としてかかわらせていただきました。恥ずかしながら,その時,助産婦の存在を初めて認識したことも事実です。
REBORN があったからこそ「いいお産の日」も誕生し,この企画に携わったすべてのお母さんになろうとする人,なった人,その家族たちは新しい発見や気づきが得られたのだと思います。医療従事者とお母さんたちが一緒に行なったことに意味があったイベントでした。20歳になったREBORN は「お産」という2文字のもつ意味を追求し,その活動のしかたは変わったけれど,今もなお,継続されていることに私は嬉しく思います。そして感謝に尽きます。
私のように,感じている人は多いはずだと思うのです。

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