プロフィール   

みんな赤ちゃんだったんだよね3 2005/06/17

「おかあさん、残念ながら今日はおもらししちゃった。」午前3時過ぎに、下の息子が私の枕元に立って、そう申告した。な、なんなんだ、4歳にしてその冷静なコメントは。

指しゃぶりと夜寝る時の紙パンツだけが、赤ちゃんの名残となっていた下の子だったが、殆ど紙パンツを濡らすことがなくなっていたので、数日前、紙パンがなくなったのをきっかけに、もう買い足すことはせずに夜の間も「おにいちゃんパンツ」をはくように促したのだった。

数ヶ月前にも夜のおにいちゃんパンツに挑戦して、その時は一度のお漏らしで本人がビビッてしまい、紙パン卒業を渋ったという経緯がある。だが、今回こんな冷静なコメントなら紙パンに逆行することもなさそう。

いつまでもふっくらとした丸顔で、髪の毛も薄く、デッカく産んだはずなのに小柄に育っている下の子を、名残惜しむように赤ちゃん扱いしてきたように思うけど、いよいよそれもおしまいなんだな。食欲旺盛で、毎日のように保育園の給食とおやつをおかわりして先生たちをびっくりさせているわりに、なかなか大きくならなかったのだけど、ここへ来て急に背も伸びだした。

よく考えてみると、この成長パターンは上の子と一緒。デッカく生まれてだっこやおんぶが必要なうちは小さく育って、4歳くらいからぐんぐん伸び始める我が家の子どもたち。力持ちとはいえない母を、気遣ってくれてたのかなあ。


みんな赤ちゃんだったんだよね2 2005/06/15

夏、茄子が出回るようになると、亡くなった祖母が得意だった茄子のおやきが食べたくなる。お嬢様育ちで、家事全般が得意ではなかった祖母の手料理は、お世辞にもおいしいとはいえなかったが、茄子のおやきだけは別だった。真似をして作ってはみるが、どうにもあの味は再現出来ないでいる。

ここ数週間、祖母が遺したアルバムを、イラストの資料にするために実家から持ってきて眺めている。若き日の祖母の顔に、もう何年も会っていない従姉を思い出したり、終戦の翌年に病死したので生前の姿を知らない祖父に、思いがけず私の弟の面影をみつけたり。時を紡ぐ遺伝子の営みを目の当たりにして、なんだかまとまりのない思いがあれこれと頭をよぎった。

画像は祖母と初めて授かった子どもの写真。赤ちゃんは私の父の上の兄にあたる。アルバムには、凝った装いの長男の写真がたくさんたくさん残されていて、大変な可愛がりようだったことがうかがわれる。

画家になりたかった祖母は家族に反対され、座敷牢に閉じこめられてもあきらめられず、5円持って東京に家出してきたという強烈なエピソードの持ち主である。それが同郷の祖父と出会って結婚し、画家ではなく5人の子どもの母となったのだった。

産む性としては正しい生き方だったのかもしれない。が、大変我の強い、生きるエネルギーに満ちあふれた祖母は、あふれるエネルギーを子ども達に注ぎすぎて、3人の男の子のうち二人までも社会に不適合な人間に育ててしまった。3番目の男の子だった父は、ほったらかしにされたおかげでその影響を免れたようだ。

女性でも生き方の選択に幅がある時代だったら、祖母のような人は女性としても表現者としても羽ばたくことができたのかもしれない。祖母が亡くなって、この夏で16年になる。写真に写る伯父も、祖母の後を追うようにして亡くなって久しい。


ベジタブルガーデン 2005/06/14

下の子も4歳になりちょっと余裕が出てきて、この春あたりからは長年ほったらかしだった庭の手入れに精を出している。

といっても我が家の庭はたいした広さもなく、大きく東に向いていて、その東側には高層マンションも建っている。一日に直射日光が当たるのは、わずか3時間ばかりなのだ。そんな庭で元気に育つのは、もっぱら地元の里山から移植した、あるいは勝手に生えてくる日陰が好きな草花ばかり。今の時期はどくだみが可憐な白い花を咲かせている。

その中にあって、意外と健闘しているのが、葉物野菜。春に植えたロロロッサ、レタスオーク、エンダイブのうち、ロロロッサは早々にだめになってしまったが、レタスオークとエンダイブはずいぶんと収穫が楽しめ、サラダの具として大活躍してくれた。しかも、エンダイブははっぱをあらかた食い尽くした頃から茎がぐんぐんと伸び始め、青いきれいな花を次々と咲かせている。一株で二度おいしい、お得なヤツだった。その苦味が子どもにはいまいちだったようだけれど。

プチトマトも次々と実が膨らんで、赤く色づく日を心待ちにしているところである。








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