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プロフィール |
母のスパゲッティ | 2005/04/13 | |||
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ただいま、雑誌での連載が終わった「妊婦の『ぷ』」の、単行本の準備中。通常のコミックスとは異なる形態の本にしていただけるとかで、打ち合わせの回数も話し合う内容もなにかと多い。 今日も打ち合わせのために、小学館のある神保町へと出かけたのだが、編集部滞在時間は3時間を越えた。 帰宅が8時近くになってしまうと踏んで、下の子の保育園の迎えと私が帰るまでの留守番を頼んでおいた母に電話。ここは甘えついでと夕飯を作って子どもたちに食べさせてもらうようにお願いした。 お迎えだけで疲れているであろう母を、慣れない台所に長時間立たせるのも気の毒なので、冷蔵庫の中の作りおきのスープを温めてスープスパゲッティにしてもらうことにした。 帰る道すがら、自分の食事はどうしようか、今から作るのは面倒だなあと思いつつ、結局コンビニやスーパーには立ち寄らずに帰宅した。すると、とっくに食べ終わっているものと思っていのに、母がまだ食事の支度をしていた。それで、私もすぐに夕食にありつくことができたのだが。 申しわけないけれど、マズイんである。自分で作ったいつものスープ、我が家愛用のスパゲッティ。なのに、なんか違うんである。かつてはふいのお客にもあり合わせの材料で手早く手料理を出す、まめで料理上手な母だったのだが。 そういえば、最近母のところで食事をごちそうになると、冷凍ものの利用が増え、めっきり凝った物は出なくなっていた。味付けもイマイチな気がしていたが、それは、自分のほうが料理の腕を上げて、そう感じるようになったのだと勝手に解釈していた。 だけど、私が作ったものが、母の手にかかっておいおいという出来になったのを目の当たりにして、ああ、これは老いによる衰えなのだと気づいた。 70を越えて数年になる母だが、病気もせずいつも元気で笑顔を絶やさず、年だなんだという話もしない人なので、これまでは衰えというものをあまり感じさせられずに来た。それだけに、母の料理の勘が鈍っているという事実を突きつけられて、これはちょっとしたショック。 なにかと母に頼りっぱなしの私は、雑踏で親を見失いかけた小さな子どものような心細さを感じてしまった。 |
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バースデーお花見弁当 | 2005/04/09 | |||
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今日は私の誕生日。REBORN三宅ねえさんに倣って、自分用にたくさんプレゼントを買い込んだ。 YOSHII LOVINSONのCDでしょ、シャーベットオレンジのリネンのシャツでしょ、白い金魚草ひと抱えでしょ、北山、明石両名のスタッフ日記に触発されて木曽ひのきのお弁当箱でしょ、でしょでしょでしょ...。 いいんだもん、夫はこの週末はこちらに戻らないし、子どもらにはいくら今日はお母さんの誕生日!!とアピールしても聞いちゃいないし。だから、自分で自分にプレゼント。 ささやかなもんよ、ホント。シャツはユ○クロ、金魚草は一本150円也。 で、お天気は良いし、桜は満開だし、絶好のお花見日和なので、仕事はとりあえずおいといて、おろしたての木のお弁当箱に高菜と梅干しのおにぎりを詰めて、サッカーの練習から戻った息子を誘って近所の公園へと繰り出した。見上げると、ぽっかりと広がる眠たいようなうす青い空に、すい込まれてゆく桜吹雪。はあ〜〜〜。 初めてのお産を経験した直後には、誕生日って、当人が祝ってもらうものではなく実はお母さんに感謝する日だったのね、などと殊勝な気持ちになったなあ。今となってはまた、勝手に生まれて勝手に年を重ねてきた感覚に戻ってしまっていて、いくつになっても進歩のない自分にガッカリ。 理想は、トーベ・ヤンソンの「少女ソフィアの夏」に登場するおばあさんみたいに、少女の感性と大人の分別を兼ね備え、何事にも動じないようでいて熱いものを心に秘めた懐の大きな人になることなんだけど。 もう若くはないけれど、老人になるまでにはまだ時間があるので、ゆっくり一歩ずつ進もうか。 満開の桜とゆったりした時間がなによりのご褒美となった、良い誕生日だった。 |
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