プロフィール   

くまちゃんのタオル 2005/04/06

食べ物ではないけれど、4歳の息子にとっては食べ物以上に大切な、心の栄養だったもの。それがくまちゃんのタオル。おっぱいを3歳まで飲んでいた息子には、それに代わる大きなやすらぎを与えてくれるものだったのだろう。

くまちゃんのタオルと言っても、くまの絵は度重なる洗濯ですっかり消えかかり、風合いはすでにガーゼのようだったそいつは、ふちの二重に縫い合わせた部分も引きちぎれ、ぞうきんだってこれよりかはずっとましというしろものだった。

保育園から戻ると、開口一番に「タオルは!?」と尋ね、あとはずーっとタオルと一緒。

最近はさすがに長期旅行でもない限り、外出に持ち歩くことはなくなったが、おととしの義父の葬儀の際は、焼き場と葬儀会場の移動時に持って行きそびれ、帰りのマイクロバスの中で20分間「くまちゃんのタオル〜〜〜!!」と連呼して、親族一同をくまちゃん地獄に陥れたのだった。

さて、今日は京都から戻って、進級後初めての保育園登園となった。お兄ちゃんも新学期。子どもたちが家からいなくなると、まず仕事そっちのけで私が始めたのが洗濯だった。もちろん、くまちゃんのタオルも。いくら洗濯しても無駄な気がしないでもないんだけどね。

いったいいつまでコレとつきあうことになるんだろう...。常日頃感じていたことだったが、息子からコレを取り上げるのはかなり大変そうなので、具体的なやめ時などは特に考えてはいなかった。

それが、乾燥機から洗濯物を出すのをすっかり忘れ、帰宅後の息子のいつもと同じ「くまちゃんのタオルは?」という問いに、ふとひらめいて私の口から出たのは「もうばらぐみさんになったから、くまちゃんはサヨナラって言って、いなくなっちゃったんだよ。」という言葉だった。

とたんに息子の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出し、ぎゃぴ〜〜〜、と泣き始めた。はあ〜、やっぱりね、こんなウソつくんじゃなかったよ〜、かわいそうに。さあて、どうやって言い訳してタオルを渡してやろうか...などど頭を悩ませつつ、仕事部屋に退散しメールの確認作業をしていたら、泣き始めてから5分とたたないうちに、半分泣きやんだ息子が部屋に入ってきた。

おっ、これは意外と良い反応かも?思わず息子を膝に抱き上げて「くまちゃんが、いままで大事にしてくれてありがとう、でももうお兄さんになったからお別れするね、って言ってたよ。」と言うと、素直にこっくりするではないの!!それっきり「タオル」とは言わなくなり、夜もタオルなしで熟睡。案ずるより産むが易しだったのね〜。

ホント、くまちゃんのタオルもあそこまで使ってもらって本望だろうよ。

もうひとつ、くまちゃんのタオルとセットの、指しゃぶりがあるのだが、これは乾燥機に隠しておけないし、さてさて、どうしたものか...。



またね〜 2005/04/05

子ども達を素早く席につかせ、必要な荷物だけ手元に残してあとは棚に載せる。2時間ほどの新幹線の旅を快適に過ごすべく、あたふたと準備をしていたら、気がついた時には列車は滑るように動き出していた。

あ〜あ、またしても夫に手を振り損ねちゃった。わざわざ京都駅のホームまで見送りに来てくれたというのに。毎度のことながら、夫は妻の態度に失望してるだろうな。

最近の新幹線って涼しい顔していつの間にか発車してるので、「これから旅に出るぞ〜〜」という感慨をこれっぽちも抱かせない。だからつい油断して、別れの挨拶のタイミングを逃しちゃうんだよ。

そんなことを考えていると、丁度お昼時でお腹をすかせていたせいか、すぐにケンカを始める子ども達。いかんいかん、あわててがさがさとお弁当を広げてふたりの口をふさぐ。夫がデパ地下で買ってくれた、串カツとちらし寿司とスシロール。串カツは、ちょっとぱさついていたけれど、子ども達には好評で、野菜が多めのスシロールが私にはうれしかった。

お腹がいっぱいになると、兄が弟のために折り紙でなにやら作り始め、しばし兄弟の間に友好ムードが漂う。まだ夕方のラッシュには早く、座席を譲っていただく親切にも恵まれ、今回は比較的余力を残しての帰宅となった。

子連れで京都から戻る時は、気を抜く暇がないけれど、おかげでまたしばらく夫と会えないという寂しさを感じずに済む。昨年4月1日からの別居生活なので、あっという間に1年が経ったわけだ。

「別居婚」という表現に、以前REBORNの白井さんから「単身赴任ではなく別居婚とはなぜ?」というつっこみが入った。う〜む、さすが学者さん、何事も深く追求せずにはおかないのね。

が、あいにくこちらは何事もゆるゆる。そんなに深くは考えてないのよ。夫が仕事の都合で向こうへ引っ越したので、単身赴任というほうが妥当なのかも。でも気持ちの上で、やむを得ずの選択というよりは、私たち夫婦のあり方の新しい形を探っているうちに行き着いたことなので、それで「別居婚」。すご〜〜く感覚的でゴメンナサイ。

当初、子ども達がかわいそうかなというのが最大の不安だったが、彼らも、この行ったり来たりを楽しんでいるよう。それぞれのペースで仕事や日常の雑事がはかどるので効率が良く、会えた時は特別な時間という気がして、お互いを思いやる気持ちも増してラブラブ度上昇中。

な〜んてこと言いながら、荷物に気を取られて見送る夫に手も振らないんじゃ、京都妻出現も時間の問題だよなあ...。


京の台所 2005/04/02

錦市場の話?

いえいえ、夫がひとりで暮らしている京都の家の台所の話。上の子が春休みなので、東京に戻っていた夫と共に、家族皆で京都に大移動。夫が京都で暮らすようになって、もう何回京都に来たことだろう。

当初、キャンプ道具を使ってサバイバル生活のシミュレーションよろしくやっていたのだけれど、家具や布団も揃いつつあり、やっと普通に過ごせる家になってきた。

しか〜し、古い集合住宅なので、浴室は狭く寒く、戸の立て付けが悪くてヘタをするとはずれる。洗面台の鏡は小さく、我が身を映すには一生懸命のぞき込まなければならない。トイレの大きな水音に、ご近所の迷惑を思って用をたすのをためらったり...と、私にとっては昔懐かしい感覚がよみがえるのだった。

一方、子どもたちにとって、こうしたおうちはとっても新鮮な驚きに満ちているのだと気づいて、もっといろいろな体験をさせなきゃいかんなあ〜と反省。

そして台所。足りない道具や食器や食材を工夫するのはキャンプで慣れているはずなのに、屋根の下でそれを体験すると、妙にストレスがたまる。キャンプ場で中腰で料理するのは平気でも、慣れた自宅の調理台より低い台所での作業では、腰が疲れること。献立は、自然と鍋ひとつで出来るものになってしまう。

まあいっか、その浮いた時間で名所旧跡めぐりを楽しみましょう...と思ったら、台所の棚の中に、昨年せっせと送った調味料や乾物、乾麺などが封を切った中途半端な状態でわんさか残っているのを発見!!とほほ〜〜。

これらを陽気が良くなる前に片づけなくてはという使命感に燃え、結局観光そっちのけで台所仕事に励むどこまでも貧乏性なミヤシタ。夫も勤め先の大学の食堂ばかり利用しているらしく、この夫婦に雅な京の味は縁遠いのであ〜る。








SOLO REBORN 目次へ

OLIVE-DESIGN-CGI
Simple Olive Diary2 Ver1.0