プロフィール   

常備薬 2005/01/15

12、13と2日間寝込んだ。微熱と胃の不調による食欲不振だった。流行のウィルスによるものかもしれない。

12日、出版社の方との打ち合わせ後、バイキング形式のお昼をごちそうになったにもかかわらず、がっついているはずの私がいくらも食べられなかったので、「コレはタダ事ではナイ」と思っていたら、案の状だった。帰宅後、近所に住む母にSOSを出して子どものことはまかせ、早々にベッドに潜り込んだが、体は休みたがっているのに深い眠りは得られないという、なんだかいや〜な状態。

おばあちゃんが作ってくれた夕食を済ませた上の子が、食事もせずに寝込んでいる母の枕元に、小皿に梅干しを一つ乗せて持ってきてくれた。口に入れると、いつもより酸味を強烈に感じた。結局、その梅干しを食べただけで、この日夕食は取らずじまいだったが、体はそれで十分と言っていた。

常日頃、梅干しはちょっとした体調不良の際の常備薬として、我が家では大活躍している。自然食品店で売られている、栽培や製造方法が明らかで上質な梅干しは高価なので、ここ5年ほどは手作りを心がけるようになった。味噌造り以上に、その年によって出来が左右されるように思う。

昨年は、日本列島に台風がこれでもかと押し寄せて、夏以降は農作物にとって散々な天候だったけれど、梅が実る頃は良いお天気に恵まれていた。そのおかげかとても良い出来の実で、例年通りの量を漬け込んだのにカメから梅酢があふれ出し、びっくりしたのだった。

今食べているのは、そんな生命力あふれる梅で作った梅干しなのである。そして、寝込んだ母に梅干しを運んできてくれた息子の気持ちは、梅干し以上に弱った体に効いた。

翌日は朝から玄米粥を炊いて、梅干しを添えて食べた。半日ゆっくり休むと、もう夕方には通常の活力が体に戻ってきた。てきぱきと、日常のことをこなせるありがたさ。梅干しという、身近な食材が体をいたわってくれるありがたさ。


お菓子のおじいさん 2005/01/12

今朝も、あのおじいさんはバスに乗ってこなかった。

ここ数ヶ月、私たち親子が保育園に向かうために利用している朝のバスに、よく乗り合わせるようになったおじいさん。

お会いすると3歳の私の息子に満面の笑みを見せ、殆ど毎日のようにお菓子をくれた。それはいつも小さい子向けのビスケットなので、わざわざ息子のために買って来てくださるのではとお察しするのだが、「おじいちゃんは歯が悪いから、こんなものっきり食べられやしない」とおっしゃるのだった。

息子はすっかり気を良くして、本当はあまり気乗りしない保育園への足取りも軽くなった様子。いただいたお菓子は大事にしずぎるあまり、カバンにしまったまま忘れていることも少なくなかったのだが。

知らない人からもらった食べ物を、口にするのがためらわれるような出来事が多い社会になってしまったが、のんびりした朝のバスでの出会いでは、そのような警戒心もいつしか消え去っていた。健康のためにほぼ毎朝歩いて高齢者を対象とする福祉施設に来ては、帰りにバスを利用するというその方の日課に、うちの息子に会うことが楽しみのひとつとして加えられたのなら、それは大変光栄なことだと思った。

毎朝のように会っていたおじいさんだったのに、その姿を今年に入ってからはまだ一度も見ていない。昨年は半年間も入院されたとご本人からうかがっていたので、ひょっとしたらという思いが私の頭をかすめる。

母同様、おじいさんのことが気になりつつも、今まではあまり自分からそのことに触れなかった息子が、昨日いやにはっきりとした口調で言った。「おじいちゃん、いなくなっちゃったねえ。神戸のおじいちゃんも、もうずーっとずーっといないんだよね。」

その言葉に私ははっとした。神戸の夫の父は一昨年亡くなったのだが、息子がそれをどうとらえているのかが、今までよくわからなかった。だが、神戸の家を訪ねても、そこにはもうおじいちゃんがいないということを、もうこの世では会えることがないということを、息子はちゃんと理解していたのだ。

そして、お年を召した方と突然会えなくなるということに、どのような可能性があるのかを、その経験から感じ取っていたのだった。お菓子をくれたおじいさんは、今もお元気で日課を変えただけなのかも知れず、死んだおじいちゃんと一緒にしては縁起でもないと怒られてしまうかもしれないのだが。

出会いのあったすべての人々と過ごす時間は限りあるものであり、大切にしなくてはと改めて心に刻むのだった。

と、ここまで書いたところでREBORNスタッフの訃報を受け取る。彼女とは直接会ったことはなく、写真から似顔絵を起こしたことがあるだけだったが、REBORNがくれた貴重なご縁だった。合掌。



すいとん 2005/01/11

昨日から今朝にかけて、食事がすいとん続きだった。子ども会の新年会に貸し出した我が家のアウトドア用の大鍋が、中身入りで戻ってきたのだ。

それはすいとんと言っても殆どお汁だけだったのだけれど、かなりの量。一家4人でうどんでも食べれば一度で消費できると踏んだ母の思惑に反し、上の子はまたもや「すいとんがいい」とのたまう。

そこで、そのお汁に我が家の常備菜である具だくさん過ぎる根菜スープから具をお引っ越しさせ、煮立てたところにぽとんぽとんと水で溶いた小麦粉をスプーンで落として、すいとん第二弾に突入。う〜む、美味。

ところが子どもたちは思ったほど食べず、夫は忙しくてお昼を食べ損ない、ヘタにかさを増やしたすいとんはまたもや残ってしまった。夕方、夫が京都に戻って親子3人となったために私の手抜き指数はピークに達し、その晩の食事もすいとん。この日、3度目のすいとん。夕食後、大鍋の底をみれば、もはや原型を留めない状態となっても、まだまだいけまっせ、と主張するすいとん。

この段階で何の躊躇もなく捨ててしまう人もあるかと思うけど、私はケチ&エコ。以前全粒粉ですいとん作ったら、最初からこのような状態のものになった経験もものを言い(!?)今朝はそのお汁でオートミール粥を作って、一切無駄にすることなくお腹の中に納めたのだった。すいとん係のお母様がた、ごちそうさまでした。

ところで私としては、すいとんは終戦記念日である8月15日前後、「こんなに具が入っていちゃ、本当のすいとんじゃない」という年配者の話に戦時下の暮らしを偲びつついただく行事食という感覚。でも、5歳くらい下のお母さんは気にならなかった様子。新年会→お雑煮→大量にお餅を焼くのが大変→代わりにうどん?→うどんはのびるし〜→そんならすいとんでは?という成り行きですいとん新年会となったのであ〜る。









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